
この記事が紹介するステキ
髙木鎮廣さん×働き方改革支援
働きやすさのための働き方改革を支援する
ーーいま髙木さんが取り組んでいることについて教えてください
私はいま、90年以上続く女性の下着メーカー・株式会社タカギの副社長をしています。タカギは最近10年くらいかけて様々な経営改革に取り組んできました。現在はこの過程で得てきた様々な知見を、研修やコンサルティングの形で主に奈良県内の企業に横展開していく新事業を開始しています。
ーー具体的にはどんなことをするのでしょうか?
現時点で用意しているメニューは3つあります。
| メニュー名 | 概要 | 詳細 |
|---|---|---|
| 無料セミナー | 企業に訪問して2時間の幹部層向け研修をおこないます。 | だいたい1時間くらいで、「人材不足倒産の防ぎ方」をテーマに講義し、もう1時間は自社の従業員の働きやすさを体験しようというカードゲームをやります。 |
| 無料コンサルティング | 無料セミナーを受けてくださった企業様の特典(希望者のみの無料特典)として、無料で現状の「働きやすさ」診断をします。社長様、人事担当者様、一般社員様の三者にアンケートに答えていただき、その内容を分析して、「働きやすさ」に関する貴社の強みや課題をレポートにまとめます。 | 「働きやすいことが魅力ある会社を作り、いい人材が入ってくる。その人たちが持続性を持って働き、きちんと評価されるために、各種の制度や評価制度が必要」を基本的価値観として、その在り方にどの程度近いかが確認できます。 |
| 個別コンサルティング | 社内の仕組みや制度の整備、評価制度の確立などを伴走支援します。 | 基本的価値観である「働きやすいことが魅力ある会社を作り、いい人材が入ってくる。その人たちが持続性を持って働き、きちんと評価されるために、各種の制度や評価制度が必要」に基づく仕組みの策定をご支援します。 |
ーー価値観が明確で分かりやすいですね。タカギ社で行った経営改革の経験がこれらのメニューの基礎になっているということですが、タカギ社の経営改革で特筆すべき目玉や成果の挙がった施策はどのようなものでしょうか?
「テレワーク」と「フレックス」の導入です。
テレワークは、ある女性社員がパートナーの転勤で東京に引っ越すことになったのですが、テレワークの文化があったことで、退職せずに東京からフルリモートで継続して働いてくれています。会社としてはぜひ引き続き一緒に働きたいと思っていた従業員でしたので、テレワークによって継続を提案できたことは大きかったです。
フレックスは、京都にお住いの従業員がおりまして、その方の自宅からタカギまで出社しようとすると車で1時間半くらいかかります。定時出勤・定時退社をしようとすると、朝夕の渋滞に巻き込まれたりします。フレックス制度で渋滞のない時間帯に出勤ができるようになりました。また、その方は毎朝趣味の時間も大事にしているのですが、趣味も大事にしながら就業できるので、タカギで働きやすいとご本人から言われています。
ちなみに、フレックス制とは少し違いますが。タカギは下着メーカーですので、本社とは別に縫製工場も持っています。一般的な縫製工場は、出勤率を厳しくチェックします。一人抜けると生産能率が落ちるからです。「休むな」という縫製工場は多いです。タカギは、昔からのカルチャーとして、子育てや介護とバランスをとってやっていこうという方針・考え方があるので、工場も休みやすいんです。それで離職率が低いという事実もあります。
波乱だった若手社会人時代
ーー新卒で人材系の会社に入社されていますね。その会社を選んだ理由は何だったのでしょうか?
もともと自分で起業したい思いがすごく強かったんです。ただ、大学時代はアイデアもなければ実力もないと思っていたので、まずはベンチャー系の会社に入って学ぼうと思って、人材系のベンチャーの会社に入りました。
僕は求人広告を出す側である法人の営業担当でした。当時、社内でも認められるスーパー人材の先輩2人が立ち上げた神戸支店という新しい拠点があり、僕が入社するタイミングで中途採用で3人、新卒で僕を含めて3人が新たに配属されました。今思うと、即戦力だらけの環境に入れられたので、会社から期待してもらっていたのかもしれません。
ーーということは、新卒時代からバリバリ成果をあげていったんですか?
いやそれが、自分でも自信はあったんですが、全然だめだったんです。同期採用だったほかの2人は活躍していましたが、僕だけは全然でした。ノルマを達成できず、営業としての成績が奮わないまま、拠点の足を引っ張り続けるというのが社会人生活の最初の2年半でした。
このまま成績が奮わず、拠点のみなさんに迷惑をかけ続けられないと思ったのと、半導体に興味があったので、産業機器メーカーに転職しました。その会社ではルート営業の仕事をしました。数年後、新規事業立ち上げのミッションを与えられ、国立大学医学部の教授と医療機器の開発を行いました。この時は時間を忘れ、がむしゃらに働き続けていましたが、今となれば本当に良い経験を積むことができました。
ーーそのあと、現業である株式会社タカギに移られるのですよね?
そうですね。タカギは妻の実家です。今は妻が4代目の社長をしています。結婚した時に「いずれは自分もタカギで働くことになるかもな」とは思っていましたが、思いのほか早く、結婚2年目の時にそのタイミングがやってきました。タカギの経営が思いのほか行き詰っていて、それを何とかしたいという妻の要請で前職から移りました。
編集部注
このあたりの事情はご本人のnoteにさらに詳しくまとめられています。
https://note.com/takagi_innerwear
ーーnoteでも詳しく紹介されていますが、タカギに入ってからも大変だったそうですね
私が入社した時にはタカギの経営が思わしくなく、経営改革が避けられませんでした。その過程でベテランの営業職の方たちとの関係性がうまくいかなくなって、みなさんがやめてしまったという事件がありました。これは私の大きなしくじりのひとつです。
当時のタカギのカルチャーとして、予実管理のような”数字に対する意識”が全然なかったんです。そこをきちんとしていこうということを言い続けていたら、みなさんが息苦しく感じて辞めてしまったんです。
そうなるとその人達が持っていた仕事は自分でやるしかないので、全部引き受けてお客様を訪問しました。この時にある程度営業成果をあげて数字を作れたことは逆に自分の中での成功体験になっています。
また、いま営業のみなさんにそれぞれのお客様を担当してもらっていますが、あの時に各お客様と直接お会いした経験があるので、それぞれのお客様のことが自分でもよくわかり、トラブルが起きそうな時に事前に気づけるようになったというのはけがの功名です。自分が営業担当だったら、ものすごくやりづらい上司ですけどね(笑)。
奈良県の明るい未来のために力を尽くしたい
ーー禍福は糾える縄の如し、ですね。様々な修羅場を潜り抜けて経営改革を成功させ、タカギ社の業績をV字回復させた今、そのノウハウを奈良県の事業者に横展開しようとされています。それはどういった動機からですか?
タカギの経営改革は、タカギ自身が生き残るためにやったことです。その過程で、新しい人材の採用を優位に進めるために、自社の経営改革のPRもしていました。それも自社のためです。しかしながら、自社のためと思ってPRをしていくうちに、奈良県や奈良市からお呼びがかかるようになってきました。
奈良県の企業としては早い時期から、働き方改革やテレワーク、フレックス制などに取り組んで成果をあげてきたという自負はありましたが、周りから求められるほど価値があるものだったのかということにそこで気づいたんです。それで、奈良県の女性の就労状況などを調べたら、散々でした。女性の就労率は全国ワーストワン。専業主婦率が全国で一番高い。男性が外で働いて女性が家にいるという性別役割意識が全国で一番高い、など。これを変えないと奈良県は良くならないと思ったんです。
自分が生まれ育った奈良が、誰にとっても働きやすくて住みやすい場所であってほしいと思うので、だったら奈良県をもっともっと良くするために自分ができることをやりたい。これだけ行政からも求めてもらえるということは、みんなも困っているということだろうから、僕がタカギでやってきた経験をシェアすることで、奈良県内の会社が、そして奈良県全体が盛り上がってくれるんだったら、取り組んでいきたいと思ったんです。
それと、もうひとつ。タカギは今、妻が社長で僕は副社長です。妻が海外出張に行くときは僕が3人の娘をワンオペで世話しています。奈良県ではまだまだ僕のようなあり方は珍しいと思いますが、男女関係なく仕事で活躍する世の中になってきていますが、性別役割意識が高い奈良県では、パートナーである女性が自分より活躍したのを見ると、嬉しさとモヤモヤが入り混じる複雑な感情を抱く男性が多いのではないかと感じています。その環境変化でしんどくなった男性に対してもフォローしていきたいという気持ちもあります。
奈良で幸せになれる人生を実現するための架け橋に
ーー髙木さんの事業が最終的に叶えるものは何でしょうか?
奈良県に住んでいるのに大阪や京都に働きに行っている人は少なくありません。なぜなのかを調べると、賃金の問題や働く時間の問題などで条件が合わないという回答が多いです。
最終的には大阪や京都に働きに行かなくても、奈良で幸せになれる人生と仕事を実現する人が増えてほしいと思っています。そのために、行政と企業と就職希望者の三者をつないでいく架け橋になって盛り上げていきたいと思っています。
